「あなたのみこころだけを」 2024/10/20

     マルコの福音書10章35-45節

兄弟でイエス様の弟子だったヤコブとヨハネが、イエス様に願い事をしました。「あなたが栄光の座についたら、わたしたちを右大臣と左大臣にしてください」。なんと露骨な願いでしょうか?しかもそのタイミングは、イエス様がこれから苦しみを受けて殺され、三日後によみがえる、という一番大事なお話をされた直後でした。今までもこういうことが  何度もありました。ここに、人のためにいのちをささげようとされるイエス様と、常に自分のことを考えるわたしたち人間との違いが、まるで「光と闇」のように表れています。

イエス様はこの2人を叱りつけるでもなく、「それはわたしが許すことではない」(40)とおっしゃいました。神の子のイエス様さえも「父なる神様の御心」にゆだねられたのです。わたしたち人間は常に、自分の考えを自分の方法で押し進めようとしますが、大切なのは「神様の御心」です。自分の考えを押し通すのではなく「あなたのみこころのままになさってください」とわたしたちが祈ることを神様は喜ばれます。神様の御心ならば、不自然な裏工作などしなくても、ことは自然に動いて行きます。

この2人の「抜け駆け」を知った他の弟子たちは非常に腹を立てました。彼らも同じ願いを持っていたのです。わたしたち人間は、自分で意識していなくても、みんなこのような自己中心の性質を持っています。だからこそイエス様が人としてお生まれになり、わたしたちの代わりに十字架で死んでくださったのです。イエス様より700年も前の預言者イザヤは預言しました。「彼は私たちのそむきの罪のために刺し通され…彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」(イザヤ53:5)。イエス様と弟子たちが「光と闇」のように対比されていたように、人間の闇が深ければ深いほど、イエス様の十字架は光り輝きます。誰でも自分の罪を認め、イエス様を自分の救い主として信じた人は、イエス様のいのちを持ちます。それは永遠のいのちであり、イエス様のように生きるいのちでもあります。わたしたちも、今なお罪ある者ではありますが、いつも悔い改めて、祈りながら、人の上に君臨する者ではなく、人のために自分をささげる者とならせていただきましょう。イエス様ご自身のいのちによって。

(永田 令牧師)