ルカの福音書5章1-11節
今日の箇所は、イエスさまがペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネという2組の兄弟をお召しになる場面です。イエスさまがゲネサレ湖の岸辺におられた時、イエスさまの教えを聞こうとして人々が押し寄せました。イエスさまはそばにいたシモンという漁師に頼んで舟に乗り、少し漕ぎ出してもらって、岸辺にいる人々に福音を語られました。そして話が終わるとシモンに向かって「深みに漕ぎ出して、網を下ろして魚を取りなさい」(4)と言われました。シモンは答えました。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。でもお言葉どおり、網を下ろしてみましょう。」(5)。ゲネサレ湖の魚は、気温の上がる昼間には湖の底の方へ移動するので、漁は夜中から早朝にやるものでした。昼間に取れるわけがありません。しかしシモンは「でもお言葉どおり網を下ろしてみましょう」と言いました。「あなたがそうおっしゃるなら、無駄でもあえてやってみます」と。ところが網を下ろしてみると、たくさんの魚が入って網が破れそうなほどでした。シモンは非常に驚きました。そしてイエスさまの足元にひれふして言いました。「主よ。私のような者から離れて下さい。私は罪深い者ですから」(8)。イエスさまに対する呼び方が「先生」から「主よ」に変わっています。つまりイエスさまのことを、神さまに由来する権威あるお方であると認めたのです。そのようなお方に相対している自分は、何と恥ずかしくて罪深い人間かということに気づいて「私のような者から離れて下さい。私は罪深い者ですから。」という言葉が出たのです。自分と神さまとの間に深い断絶を感じたのでした。しかしイエスさまは「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間を取るようになるのです」(10)とおっしゃいました。権威ある命令です。シモンたちはこの権威を受け入れました。つまりイエスさまを信じたのです。イエスさまの奇跡を見てその権威を認めただけでなく、イエスさまがこんな罪深い自分を受け入れ、宣教のためにお用いくださる。シモンが感じた深い断絶を、神さまの側から、イエスさまの側から越えてきてくださった。だからこそシモン・ペテロはすべてを捨ててイエスさまに従うことができたのです。そして、まるで光を避けて水底に隠れる魚を釣り上げるように、罪の闇に隠れる人間を光のもとへ救いあげる「漁師」となりました。「イエス・キリストとの出会いが人生で最も貴重な素晴らしいものである」と語り続けることによって。
(井上 靖紹長老)