「本物のプライムミニスター」 2024/9/22
マルコの福音書9章30-37節
連日自民党の総裁(事実上の総理大臣)選挙について報道されています。総理大臣のことを英語で「prime minister(プライム ミニスター)」と言います。「一番上の大臣」という意味と共に「一番仕える者」という意味もあります。イエス様は「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」(35)と弟子たちにおっしゃいました。ところが弟子たちは、イエス様がこれから人々の手に引き渡され、殺されて、三日後によみがえるという大事な話をしておられるのに、それを軽く受け流し、それどころか「自分たちの中で誰が一番偉いか」とひそかに論じ合っていたのです。「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」(ヤコブ4:1)。わたしたちは人に仕えることよりも、「自分の方がこの人より上だ」と(表には出さなくても)心の中で思っています。だから戦いや争いが絶えないのです。どうすれば良いのでしょうか?そのカギこそ弟子たちが軽く受け流した「十字架と復活」です。キリスト(救い主)であるイエス様が、なぜ苦しんで死ななければならなかったのか?それはまさにわたしたちが他の人を見下げ、「自分が一番偉い」と思うような者だから、イエス様が代わりに罰を受けて死んでくださったのです。イエス様こそ、すべての人にお仕えになられた「本物のプライムミニスター」です。そしてイエス様というプライムミニスターにより頼み、いつもイエス様の十字架と復活に感謝して生きる時、わたしたちもまた、イエスのように、人々に仕える者となります。自分の中にある「ねたみや敵対心」自体はなくなりません。しかしたとえそのような者であっても、イエス様を信じる者に与えられた聖霊様によって、人に仕える者になっていくのです。聖霊様は、わたしたちの中に蒔かれた「義の種」です。「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます」(ヤコブ3:18)。この「義の種」が芽を出し、成長して、「義の実」、すなわち人々に仕えるという生き方を実現するのです。その人は自分がほめられることよりも、イエス様に感謝し、イエス様がほめられることを喜びます。これこそ本物の「プライムミニスター」なのです。
(永田 令牧師)