「何のために生まれて 何をして生きるのか」 2024/8/25
ヨハネの福音書6章56-69節
イエス様が5つのパンと2匹の魚で5000人以上の群衆を満腹にした後、群衆はイエス様を王にしようと企てました。自分たちの満足のためにイエス様を利用しようとしたのです。しかしイエス様が彼らに与えたいと思っておられたのは、肉体的な満足や、すぐにおなかがすくようなパンではなく、「永遠のいのち」に至るパンでした。永遠のいのちに至るパン、それはイエス様ご自身です。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」(35)。
アンパンマンの作者やなせたかしさんはクリスチャンでした。そしてイエス様をモデルにしてアンパンマンを作りました。自分の顔を食べさせることによって人々を助けるアンパンマン。それはまさにイエス様がすべての人の悲しみや涙、そして罪を背負って十字架でいのちを捨て、ご自分を信じる者に新しいいのちを、永遠のいのちを与えるということを表しているのです。
イエス様の「奇跡」を信じるだけでは永遠のいのちはありません。今日の群衆もイエス様の奇跡は認めました。しかしそれを自分たちのために利用しようとしただけでした。大切なのは「悔い改め」です。自分が神様や他者を無視して自分の正義ばかり主張する者であることを認めて悔い改め、そんな自分のためにイエス様が死んでよみがえられたことを信じて、洗礼と聖餐にあずかる人は、永遠のいのちを持っています。聖餐のパンは「わたしのからだである」、ぶどう酒は「わたしの血である」、とイエス様はおっしゃいました。物質的には普通のパンとぶどう酒ですが、イエス様の御言葉と結びついた時、それは本当にイエス様のからだであり、イエス様の血なのです。この聖餐にあずかる人の中にイエス様のいのちがあります。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります」(56)。イエス様のいのちを持つ人は、イエス様のように生きる者となります。つまり自らを犠牲にして人を助ける者となります。たとえ相手が「敵」であっても、倒すのではなく、立ち上がらせる者となります。これこそわたしたちが生きる目的です。
「何のために生まれて 何をして生きるのか こたえられないなんて
そんなのはいやだ!」(アンパンマン主題歌より)。
(永田 令牧師)