「ボアズの信仰」 2024/8/18
ルツ記3章1-18節
「今夜はここで過ごしなさい。明日の朝その人が責任を果たすというのならそうさせよう。しかし、それを好まないなら、主は生きておられる。わたしが責任を果たします。さあ、朝まで休みなさい。」 ルツ3章13節
ボアズの信仰について学びたいと思います。
- ボアズの目
ボアズの信仰、それは第一に、彼の目、まなざしにそれが現れていました。2章5節で、「ボアズが農夫を監督している召し使いの一人に、そこの若い女は誰の娘かと聞いた」とあります。ボアズは、その畑を所有する資産家でした。それに対して、ルツは、モアブの女性でした。しかも、ベツレヘムまでやって来て、他にすることがなく、落穂ひろいをしていたということですから、そんなにきれいな格好をしていたわけではありませんでした。ボアズは、ルツに目を留めました。それは、信仰によって、ルツの中にある美しさに目を向けることができたということでした。 - ボアズの口
第二に、ボアズの信仰、それは、彼の口、彼のことばにそれが現れていました。ボアズは、ルツが「イスラエルの神こそ、まことの神である」との信仰により、ベツレヘムにやって来たということを知り、ルツに対して親切にしてやります。ボアズは、よけいなことは言っていません。けれども、適切な態度で、適切なことを語っています(8~9)。それは、何よりもボアズの信仰から出たことでした。 - ボアズの姿勢
第三に、ボアズの姿勢にそのことが現れていました。ボアズがルツのプロポーズを受けた場面で、ボアズは、ルツにこんな風に言っています。「確かにわたしも家を絶やさぬ責任のある人間ですが、実は、わたし以上にその責任のある人がいる。今夜はここで過ごしなさい。明日の朝その人が責任を果たすというのならそうさせよう。しかし、それを好まないなら、主は生きておられる。わたしが責任を果たします。さあ、朝まで休みなさい」(3章12~13)。ボアズが語っていることのここでの鍵になることば、それは、「主は生きておられる」ということばです。ボアズは、ものごとを信仰的にとらえて、人間的なこと、姑息なこと、卑怯なことは、一切せず、主に委ねる人であったということです。
(前川 隆一師)