マタイの福音書20章1~16節
一時よりは暑さが和らいだものの、まだ暑さが残る今日この頃です。猛暑の中での畑仕事は大変です。きょうは「ぶどう園の主人」のたとえ話です。
イスラエルでは4月下旬から9月頃までが乾季で、9月頃から雨季に入ります。この9月頃がぶどうの収穫期です。ぶどう農家は雨が降り始める直前の絶妙なタイミングでぶどうを収穫しなければなりません。早すぎたら熟していないし、遅すぎたら雨に濡れて品質が落ちるからです。だからぶどうの収穫期は、農家にとって猫の手も借りたいほど忙しいのです。そこで主人は朝の6時頃から日雇い労働者を雇いました。彼らと1日1デナリ(通常の1日分の給料)の約束をしてぶどう園へ送りました。その後も午前9時、昼12時、午後3時、さらに夕方5時にも人々を雇い入れました。夕方5時から働いた者は、わずか1時間しか作業していません。
やがて日没となり、主人は最後に来た者から順に、日当を払いました。なんと1時間しか働いていない者にも1デナリが支払われました。しかし朝から働いた者もやはり1デナリでした。当然、朝から働いた者は「あなたは一日の労苦と焼けるような暑さを辛抱した自分たちと、1時間しか働かなかった者とを同じ扱いにした」と不満を訴えました。地上の経済活動のルールからすれば、彼らの不満や主張はもっともです。しかし主人は、「私は不当なことはしていない。あなたとは1デナリで同意したではないか。最後の者にも同じだけ与えたいのだ。私が気前が良いのでねたましいのか」と答えました。確かにその通りですが、やはり納得できません。それは私たち人間が地上の経済活動のルールに染まりきっているからです。しかしきょうのたとえは「天の御国」について教えるたとえです。確かに地上では労働の賃金は報酬として、働きに応じて与えられます。しかし天の御国は、働き(良い行い)がなくても与えられるのです。なぜならイエスキリストが私たち人間のすべての罪を背負って、身代わりに十字架で罰を受けてくださったからです。このイエス様を救い主と信じる人は、何の行いが無くても義とされ、天の御国に入ることが出来ます。
では汗水流して働くことは無意味なのでしょうか?いいえ、そうではありません。朝から働いた人のおかげで甘いぶどうがたくさん取れて人々を笑顔にしたように、イエス様を信じるのが早ければ早いほどより多くの人に奉仕でき、多くの人々を笑顔にすることが出来るのです。天国に行くための行いは必要ない。でもだからこそ神様に感謝して、周りの人々のために喜んで汗水を流そうではありませんか。そこにこそ本当の喜びと満足があるのです。
(永田 令牧師)