マタイの福音書16章21~28節
先週の聖書は、ペテロがイエス様を「生ける神の子キリスト」と告白し、イエス様も喜ばれて「天国の鍵」をペテロに約束された箇所でした。ペテロは有頂天になったことでしょう。しかしその直後、ペテロは急転直下の大きな過ちを犯してしまうのです。有頂天になった時は、私たちも気をつけましょう。
ペテロが信仰を告白してから、イエス様は「私は長老たちや祭司長たちから苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならない」と、ご自身の十字架と復活を予告され始めました。これこそキリストの本分でした。ところがペテロはイエス様をわきにお連れして「いさめた」、つまり「叱りつけ」たのです。神の子キリストに向かってです。ペテロは当時のユダヤ人同様、キリストにダビデ王のような強さと権力を期待していたのでした。そして「よみがえる」という大事な部分も聞かずに、ただ怒りと納得出来なさに熱くなったのです。
「キリスト」は私たち人間の罪を背負って身代わりに罰を受けて死んでよみがえり、私たちを罪から救ってくださるお方です。そのために、どうしても死と復活が必要でした。十字架を阻止しようとしたペテロにイエス様は「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と厳しくおっしゃいました。「人のこと」とは 十字架のない、心地よく楽しい道。「神のこと」とは苦難と死の道、しかしその先に復活と本当のいのちがある道です。「十字架にかからなくていい」というペテロの言葉は、イエス様にとっても小さくない、魅力的な誘惑(ワナ)でした。しかしイエス様は、ご自分の願いではなく、私たち人間を救うために、苦しみの道を貫いてくださったのです。誰でもイエス様を、「私のために死んで復活された救い主(キリスト)」と信じるなら罪がゆるされ、永遠のいのちに生まれ変わります。そして聖霊様の働きによって「イエス様と同じ道」を歩む者となっていきます。つまり敵であっても助け、祝福する道です。きょうのペテロは、主の十字架の前夜も剣で敵の耳を切り落とす人でした。しかしイエス様はその耳を癒されました。悪に対して悪を返さず、自分を苦しめる者のために祈り、祝福されました。これこそ「神の道」です。人間自身の力では到底無理ですが、聖霊様によってそのように変えられます。あのペテロも、イエス様の十字架と復活を経験し、聖霊様をいただいて、変えられました。そして「ペテロ(岩)」という呼び名の通り、キリスト教会の土台をつくりました。彼が晩年、信徒たちに書き送った手紙の一節です。「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです」(Ⅰペテロ3:9)。(永田 令牧師)