ヨハネの福音書7章37~39節
今日は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)です。クリスマス、イースターと並ぶ、キリスト教会の三大祭の1つです。かねてイエス様は「別の助け主が来る」「エルサレムを離れないで父の約束を待ちなさい」と言っておられました。弟子たちは、その助け主がいつ、どのような形で来られるのか分からぬまま、すべて神様に任せて、心を一つにして祈りに専念しながら待ちました。私たちも、わからないことは多々ありますが、すべて神様にお任せして時を待ちましょう。
そしてイエス様の昇天から10日たった「五旬節」(過ぎ越しの祭りから50日目の祭)の日に、それは起こりました。天から激しい風のような響きが起こり、「炎のような舌」が一人ひとりの上にとどまりました。すると弟子たちは聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、様々な国の言葉で「神の大きなみわざ」を語り始めたのです(使徒2:1~4)。「神の大きなみわざ」とは、ヨハネ3:16に「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」とある通り、神が御子イエス様を十字架につけてくださり、イエス様を信じる人を罪から救い、永遠のいのちを得られるようにしてくださった、ということです。五旬節はもともと収穫を感謝する祭りですが、その日に聖霊様が降ったということは、聖霊降臨によって人はイエス様の証人となり、世界中で救いの実を収穫するようになる、ということを象徴しているのです。また一つの聖霊が分かれて1人1人の上にとどまり、違った言語で神の大きなみわざを語ったことは、教会の一人一人の賜物や奉仕が様々であっても、それを与える方は同じ聖霊様であり、一人一人は一人のイエス様のからだであるということを象徴しています。
人に聖霊を与え、教会のメンバーを一つにするもの、それは洗礼です。人間自身から出る愛や忍耐は、いつか枯れてしまいます。まるで日照りの夏に干上がる湖のように。しかし、水底に泉が湧いている湖が干上がらないように、洗礼によってその人の内に聖霊様が与えられているなら、その人の内から生ける水の川があふれ流れ、周りの人々を潤すことが出来ます。「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります」(ヨハネ7:38)。
これからも礼拝を通して聖霊様に満たされ、一人ひとりに与えられた独自の賜物と方法で、神様の大きなみわざを人々に知らせましょう。そして、世界中に豊かな実を結ばせていただきましょう。(永田 令牧師)