マタイ27章45~54節
イエス・キリストは十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(詩篇22編)と叫ばれました。これは、神の救いのご計画の中で起こった出来事です。ここで起こっているのは単なる孤独ではなく、罪に対する神の怒りと裁きです。そして「神の子」という表現は、マタイ福音書が繰り返し証しするイエス様の姿です。本来、神の子が見捨てられることはあり得ません。しかし十字架では、その神の子が見捨てられました。
なぜこのようなことが起こったのでしょうか。それはイエス様が私たちの場所に立たれたからです。本来、神に見捨てられるべきなのは罪ある私たちです。しかしキリストは私たちの罪を負い、代わりに見捨てられました。これは交換です。キリストが私たちの罪を引き受け、私たちはキリストの義と命を受け取るのです。
この十字架によって神と人との間の隔ては取り除かれ、神との和解が与えられました。この救いは信仰によって受け取ります。十字架の下でイエスを神の子と告白したのは百人隊長でした。神は今日、あなたにも信仰を与えてくださいます。
あなたは神に見捨てられません。なぜなら神の子があなたの代わりに見捨てられたからです。これは感情ではなく、十字架で起こった確かな事実です。どのようなときも、あなたは神と共にあります。
マタイの福音書は、「神は私たちとともにおられる(インマヌエル)」という約束で始まり(1章)、復活の主が「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」と語られることで終わります(28章)。十字架において一度見捨てられた神の子によって、私たちは決して見捨てられない者とされ、神とともに生きる者とされたのです。アーメン。(高平 真生伝道師)
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