マタイの福音書4章12~23節
「自国ファースト」の考え方が世界中に広がっています。マタイの福音書もユダヤ人向けに書かれており、一見「ユダヤ人ファースト」の書物に見えます。しかし2章で異邦人である東方の博士たち(しかも聖書で禁じられている星占いの博士たち)がイエス様を拝みに来たり、1章のイエス様の系図も、異邦人の女性や不倫・殺人などの罪を犯した先祖たちが含まれていることを、マタイはあえて暴露しています。これは、イエス様がユダヤ人だけの救い主ではなく全世界の人の救い主であること、また、まっとうな生き方をしてきた人だけでなく、ありとあらゆる罪を犯した人をも救ってくださる救い主であるということをマタイは強調しているのです。
イエス様が伝道の拠点に選んだのは、イスラエルの中心であるエルサレムではなく、北の辺境地「ガリラヤ」でした。ガリラヤは旧約時代、アッシリヤの侵攻によって異邦人が多く混じり、南のユダヤ人から「汚れた場所」として蔑まれていた地域です。しかしイエス様は、あえてこの「異邦人のガリラヤ」の光として来られたのです。じつはガリラヤが異邦人の地となった原因の一端は南のユダヤ人たちの不信仰にもありました。つまり誰も他人を「罪びと」呼ばわりすることは出来ず、神様の目から見たらみんな罪びとであり、天の御国から外れた「部外者」なのです。しかしその部外者を罪から救うために、イエス様は部外者の世界に来てくださいました。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(17)との御言葉通り、イエス様ご自身が「天の御国」として地上に来られ、すべての罪びとの代わりに十字架で死んでくださり、よみがえられました。誰でもイエス様を自分の救い主と信じるなら罪がゆるされ、天の御国の真ん中に入れていただけます。
イエス様によって天の御国に入れられた人は、ペテロやアンデレたちのように、「人間をとる漁師」となります。「人間をとる漁師」とは、罪の海に漂う人々を救い上げ、「天の御国」という海の中へ移しかえる働きです。イエス様は弟子を選ぶ際、エルサレムのエリートではなく、社会的な地位が低かったガリラヤの漁師たちを招かれました。力ある者や知恵ある者ではなく、愚かな者、弱い者をイエス様は選ばれます。その人はただイエス様の十字架のことしかわからないからです。それこそその人の強みです。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(Ⅰコリント1:18)。この神の力にこれからもより頼み、「人間をとる漁師」として、単純に、純粋に、「十字架のことば」を伝えて参りましょう。
(永田 令牧師)