ルカの福音書20章27~38節
今日の聖書日課のヨブ記19:23-24の部分は、特に24節では、ヨブの思いが強烈に伝わってきます。その思いは、自分が絶対に正しいということであり、どうして私を認めてくれないのかという神様への不満にさえなります。しかし、ヨブの思いは、19:25-27で突然に変わるのです。
神様ご自身がヨブの思いを導き変えて下さったことに、皮膚がはがれるような苦しみの中でヨブは気付くのです。それは、自分を贖い救ってくださるのは神様お一人だということです。
私たちも自分を顧みると、様々な罪に溺れている自分が見えてきます。詩篇17:1-5でダビデが言うような罪です。私たちも自分の罪が良くわかっているなら、ダビデのように心底、神様への赦しと守りを願い求めて祈るでしょう。私たちの人生はルターが言うように、赦されたものであっても、日々、罪を犯し続けているからです。私たちが、ダビデのように自分の罪を数えながら絶望感におちいるとき、突然、神様の豊かな救いと恵みが注がれていたことに気付かされるのです。
大変有難いことに、日々の生活の中で、すでに私たちは信仰を通してその罪を赦され、永遠のいのちの約束を頂いているのです。イエス様が十字架の死と復活を通して、この福音を私たちに与えて下さいました。しかし、この豊かな恵みをなかなか納得できないのも私たちの弱いところです。すぐ後戻りして、神様の救いも約束も信じているのか疑わしい自分に気付きます。それほど人の心は弱いのです。私たちは行き詰ったり倒れたりしながら、ダビデのように神様に心の底から願い求め、その中で、信仰を通して救われたことに気付いていくのです。神様は、私たちが思うよりずっと忍耐強いお方です。そのお方が必ず私たちのそばにいてくださるのです。
今日のルカ20:27-38のエピソードでは、サドカイ人がイエス様を試そうとして質問します。これにイエス様は、復活は現世で生きていることとは全く違うのだと言われます。常に、私たちは神様に対して、神の子として生きているのであって、それは一人ひとりが神様との約束に立ってすべての時を生きていくということです。今も、神様は私たち一人ひとりにとって生きて働き、ここにおられる存在です。
ですから、私たちが神様から一人ひとりに頂いている深い恵みと愛の中で、そのことを心から感謝を持って受け止め、自分の心の思いを神様に聞いて頂きましょう。神様に信頼して、日々の重荷を背負って生きようではありませんか。
(福田 学師)