ルカの福音書14章1、7~14節
「水戸黄門」では、それまで横柄にふるまっていた悪代官が、黄門様の正体(先の副将軍)を知ってひれ伏す…というシーンで、見る者をスカッとさせます。今日の福音書も、「自分を低くする者は高くされ、自分を高くする者は低くされる」(11)ということを教えています。
イエス様がパリサイ人の家で食事に招かれた際、彼らはイエス様が安息日に病人を癒すかどうか監視し、癒したら告発しようと待ち構えていました。天地を造られた神の子であられるイエス様をおそれず、「頭(ず)が高い」態度を取っていたのです。イエス様は彼らに結婚披露宴のたとえ話をされ、自ら上座に座る者は恥のうちに末席に移され、自ら末席を選ぶ者は招いた人によって上席に導かれる、と教えられました。これは単なる社会のマナーを教えているのではなく、神の国に入る方法を教えているのです。聖書によれば、全ての人は罪があるため、自らの善行では天国に行くことができず、「末席」すなわち地獄に行くしかありませんでした。しかし、王の王であられるイエス様が、私たち罪人の身代わりに、自ら十字架という「末席」につき、その死によって私たちに天国という「上席」を譲ってくださったのです。イエス様はその気になれば十字架から降りて、「皆の者、頭が高い!」と言って人々にひれ伏させることも出来ました。しかしそうなさらず、死に至るまで耐え忍ばれ、天国への道を完成させてくださいました。誰でも「自分の力では天国に行けない」と認めてイエス様の救いを受け入れる人は、「自分を低くする」人です。その人はイエス様によって「高くされ」ます。
こうしてイエス様に天国を譲ってもらった人は、感謝の心で神様に「賛美のいけにえ」をささげる者となります。さらに「見返りを求めない善行」といういけにえもささげる者となります。イエス様は、貧しい人々や体の不自由な人々を食事に招くよう勧めました(13)。当時、それらの人々は本当に「お返し」が出来なかったからです。イエス様は「見返りを求めずにささげる」ことの大切さをお教えになったのです。
満州で孤児院を開いた井上哲雄先生は、見返りを求めずに自らを捧げ、結果的に神様から多くの「見返り」をいただきました。私たちもイエス様に天国を譲っていただいたことを感謝して頭(ず)を低くし、賛美のいけにえと「善い行い」のいけにえをささげましょう。見返りを期待せずにささげましょう。そうすれば、それよりはるかに多くのものを、イエス様ご自身がお返しくださることでしょう。
(永田 令牧師)