マタイの福音書2章1-12節

明けましておめでとうございます。きょうは「顕現主日」。東の国の博士たちが、ベツレヘムまでやって来て幼いイエス様を礼拝し、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげたことを記念する日曜日です。

「黄金」というのは王家にふさわしい贈り物です。博士たちはイエス様のことを、ただイスラエルという一つの国の王様としてではなく、自分たちを含む世界中の人の王様として認めたのです。

「乳香」というのは神様への礼拝に使うものです。博士たちはイエス様のことを王様としてだけではなく「神様」、全人類の神様として受けとめたのです。それは彼らが「占星術の学者」であり、星に導かれて幼いイエス様のもとに導かれたからです。この大宇宙を支配している神様が自分たちを導いてくれた、暗い道を光で照らしてくれたと、彼らは信じたのでした。「見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には【主】が輝き、その栄光があなたの上に現れる。」(イザヤ60:2)

「没薬」というのは防腐作用が強く、埋葬の時に使われるものです。博士たちはイエス様のことを王様、そして神様として受け入れつつ、このお方がやがて大きな苦しみを受けられるということも予感していたのです。博士たちが住んでいた「東の国」はおそらくバビロンかペルシャです。どちらもかつてイスラエルを支配した「敵国」です。さらに彼らが生業としていた「占星術」等の占いは、神様が忌み嫌うものでした(申命記18:10-12)。しかし博士たちは「自分たちは部外者」と思わずに「拝みに行こう」と思った。それは神様の赦しを信じたからです。イエス様は全人類のすべての罪を背負って、十字架で死んでよみがえってくださいました。そのおかげでわたしたちの罪は赦されました。わたしたちはそのことを今日の博士たちよりもはっきりと知り、救いの確信をいただきました。だからこそ今日の博士たち以上に心を込めて、イエス様に感謝の捧げものをいたしましょう。目に見える捧げものだけでなく、目に見えない捧げものもあります。それは自分の周囲で助けを求めている人を助けることです。イエス様の十字架で救われたことに感謝してささげるとき、きっとイエス様も喜んで受け取ってくださることでしょう。

(永田 令牧師)