ルカの福音書1章39-55節

クリスマスおめでとうございます。イエスキリストはユダヤの「ベツレヘム」という町でお生まれになりました。今やキリストの生誕地として有名ですが、もともと小さな田舎町でした。しかしミカという預言者は、このベツレヘムでキリスト(救い主)が生まれると預言したのです。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。」(ミカ5:2)。イエス様が生まれる700年も前のことです。

このベツレヘムは、イスラエル最大の王とされるダビデの出身地でもありました。ダビデはベツレヘムに住むエッサイという人の8人息子の末っ子で、名もなき羊飼いでした。しかしこのダビデが王として神様に選ばれたのです。「私が何者だから神様はこんなに良くしてくださるのか?」という思いをダビデは生涯持ち続けました。そのような人を、神様は高く引き上げてくださるのです。「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」(ルカ18:14)。

イエス様の母となったマリヤも、田舎に住む名もなき少女でした。そのマリヤが歌った賛歌が今日の聖書です。「わがたましいは主をあがめ…」(46)で始まるため、「マグニフィカート」(あがめる)の名で長年親しまれた来た賛歌です。「マグニフィカート」には元々「拡大する」という意味があります。自分を小さくする人が、神様を大きくする(あがめる)人です。神様は、わたしたちに何か力があるからとか、知恵があるから愛してくださるのではありません。ただ神様の愛と恵みによって、無に等しいわたしたちを一方的に愛してくださるのです。キリストの母になるという重大な使命を小さなマリヤが受諾できたのも、小さな自分を助けてくださる神様の大きさに信頼していたからです。「主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らす」(51)。自分の力に頼るのではなく、へりくだって、ただイエス様の十字架に頼る人を、神様は高く引き上げ、大きな働きをさせてくださいます。ベツレヘムや、ダビデや、マリヤのように。

(永田 令牧師)