ルカの福音書3章1-6節

今日の箇所は、イエスさまが救い主としての働きをお始めになる章です。イエスさまはバプテスマのヨハネから洗礼を受けられます。バプテスマのヨハネとはどういう人だったのでしょうか?1~2節の、当時の皇帝や君主の在位時期の記述から、ヨハネが活動を始めたのが西暦27年の秋から翌年秋の間であることがわかります。イエスさまは26歳か27歳になられているはずです。この時代に「神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに降り」(2)、神の救いが人々の前で公になる働きが始まりました。そしてヨハネは「すべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマ(洗礼)」を説きました(3)。このヨハネについて、旧約の預言者イザヤは『荒野で叫ぶ者の声』と預言しています。「主の道をまっすぐにせよ。」と叫ぶ声です。つまり主の道は故意に曲げられていたということです。当時「主の道」を説いていた祭司等の宗教指導者たちは、神様の真のみこころよりも、形式的な捧げものを優先するように教えていました。バプテスマのヨハネは、神さまの本来の教えを人々に思い出させ、自分たちの恥ずべき行いを悔い改めて洗礼を受け、罪から離れた新しい生き方をさせようとしたのでした。洗礼は水の中に入ることにより、一度死ぬことを表わしています。死んだあと現れる自分は新しい自分です。ただし、洗礼が本当の意味での罪との決別、つまり自分に対する罪の支配が終わり、神の家族として天国の一員として生きる契機となるためには、イエスさま、すなわちキリスト・イエスの十字架による贖いが必要です。使徒パウロが「私はキリストとともに十字架につけられました。」(ガラテヤ2:20)と言っている通り、ヨハネではなくキリストにあって洗礼を受ける人は、一度キリストとともに十字架で死に、キリストを信じる信仰によって新しく生きる者となったのです。この新しく生きるようになる保証として神さまから聖霊が与えられるのです。ヨハネは「自分よりはりかに偉大な方」としてイエス様を人々に紹介しました。いわばヨハネの働きは「旧約聖書」から「新約聖書」への橋渡しです。「主の道をまっすぐにせよ」と叫ぶ旧約的なメッセージは、新約の福音、すなわちイエス様の十字架による救いを信じることによって成就するのです。

(井上 靖紹長老)