マルコの福音書12章28-34節

今日は召天者合同記念礼拝です。スポーツにルールがあるように、人生にも人間として守るべきルールがあります。これを無視したらめちゃくちゃな世の中になってしまいます。こうしたルールのことを聖書では「律法」と言います。律法は神様ご自身が人間にお与えになったもので、その神髄と言えるものが「十戒」(十の戒め)です。「1.わたしのほかに神があってはならない」「5.殺してはならない」「6.姦淫してはならない」「7.盗んではならない」などです。

今日の福音書に出てきた律法学者は「律法の中でどれが一番大切ですか」とイエス様に尋ねました。悪意からではなく、自分の理解で間違っていないか確認したかったのだと思います。「間違っていたら天国に行けない」と思っていたのです。イエス様はお答えになりました。「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(30)、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(31)。つまり「神と人を愛せよ」ということです。この2つは十戒を凝縮したものであり、「2つ」というより「1つ」です。神様を愛することが人を愛することであり、人を愛することが神様を愛することなのです。現在のイスラエルは隣人を愛していません。つまり「神様のことも愛していない」ということです。

今日の律法学者は、この2つの戒めが「いけにえ」や「供え物」よりはるかに大切であることがわかっていました。それでイエス様は「あなたは神の国から遠くない」(34)とおっしゃいました。「遠くはない。しかし神の国にはいない」ということです。なぜでしょうか?「実際にそれらの戒めを守れていない」からです。人の目に見える部分では守れていたかもしれません。しかし心をご覧になる神様の目には「守れていない」のです。では一体だれが守れるのでしょうか?誰もいません。天国との距離がゼロの人は一人もいません。いや一人だけです。罪のないイエスキリストただ一人です。ところがそのイエス様が、極悪人がかかる十字架で処刑された。それはすべての人間の罪の身代わりです。誰でもイエス様を救い主と信じるなら、天国との距離がゼロになります。きょう記念している召天者の方々も、律法を全部守ったからではなく、イエス様を信じる信仰によって、天国に行かれた方々なのです。

(永田 令牧師)