「キリストのうしろに」 2024/9/15
マルコの福音書8章27-38節
「人々はわたしをだれだと言っていますか」(28)。イエス様が弟子たちに尋ねたのは「ピリポ・カイザリヤに向かう途中」でした。「カイザリヤ」は「カエサル」(ローマ皇帝)、「ピリポ」はこの地を治めた領主の名前です。そしてこの村は何度も改名されました。つまりここは「人間の権威の栄枯盛衰」の象徴です。ここでイエス様は、ご自分が地上の皇帝や王とまったく違う種類の王であることを弟子たちに教えたかったのではないでしょうか?
弟子たちは世間の意見を述べました。それは総じて「イエスは預言者」というものでした。「預言者」とは神様の言葉を受け取って人に伝える人であって、要するにただの人間です。次にイエス様はいよいよ「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」(29)と尋ねました。するとペテロが「あなたは、キリスト(メシヤ・救い主)です」(29)と答えました。「キリスト」は「預言者」とはまったく次元の違うお方であり、全宇宙の支配者なる神様の側に立つお方です。ペテロは正しい告白をしたのでした。
ところが、その告白を聞いたイエス様が、これからご自分が多くの苦しみを受け、殺され、三日後によみがえることを告げると、ペテロはそれを「いさめた」のです(32)。「いさめる」とは「叱りとばす」という意味の言葉です。イエス様を神の子キリストと告白しておりながら、ペテロはそのキリストを叱り飛ばした。「自分の考えと違う。キリストに死んでもらっては困る」と。神様のことより自分の都合を優先したペテロに、イエス様は「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(33)とおっしゃいました。
わたしたちもイエス様に「あなたは神の子キリスです」と告白しながら、「わたしの考え通りに動いてください。」と祈ってはいないでしょうか?これはあってはならないこと、サタンが喜ぶことです。しかしだからこそキリスト・イエスが来てくださり、十字架で苦しみを受けてくださったのです。「下がれ(サタン)。」その正確な意味は「わたしのうしろに行け」です。イエス様のうしろをついて行くなら、矢は刺さりません。これがキリスト、救い主です。イエス様のうしろで守られて歩む人は、自分がいやされたように他の人々をいやし、励ますことが出来るのです。
(永田 令牧師)