「良い木は良い実を結ぶ」 2024/9/1

マルコの福音書7章1-8、14-15、21-23節

今年もあと4ケ月となりました。姫路教会の今年のあいことばは「下に根を張り、上に実を結ぶ」です。しかしいくら実を結んでも、それが「悪い実」では元も子もありません。「良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます」(マタイ7:17)。良い実、悪い実とはどういう実でしょうか?

今イスラエルがガザで非人道的なことをしています。旧約聖書に記されている通り、イスラエルはもともと神様に選ばれた国であり、神様から律法を授けられた唯一の国でした。その律法は「正しいおきてと定め」(申命記4:8)です。律法を与えた神様ご自身が正しいお方だからです。神様の律法である「十戒」に「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」…とはっきり記されています。これらを形の上だけではなく、心の底から守り、相手を殺すどころかむしろ助けること、これが神様のみこころであり、律法の本質です。イスラエルがこの律法を本気で守っていたら「良い実」を結び、世界から称賛されたでしょう。しかし今のイスラエルは「悪い実」を結んでおり、世界中から嫌悪されています。なぜでしょうか?それは神様の律法に勝手に「付け足した」からです。今日の福音書にイスラエルの指導者であるパリサイ人や律法学者たちが出て来ます。彼らは食事の前に手を洗うことを人々に強要しました。衛生上の理由ではなく宗教上の理由で「これが神のおきてである」と教えました。しかし神様はそんなおきては命じておられません。自分たちで勝手に「付け足し」たのです。神様の言葉に「付け足す」ことは、全部「捨てる」のと同じです。イエス様はおっしゃいました。「あなたがたは、神の戒めを“捨てて”、人間の言い伝えを堅く守っている」(8)。

神様が与えた良いおきてを「捨てた」者は、決して良い実を結ぶことが出来ません。もともと人間からは悪い実しか出て来ないからです。わたしたちも同じです。そのことを認め、悔い改める必要があります。律法の目的はそこにあります。律法によって自分の罪に気づき、そんな自分の代わりにイエス様が十字架で罰を受けて死なれ、よみがえられたことを信じる時、あとは何も付け足すことなく、その人は救われます。そして上から与えられる聖霊様によって「良い木」となり、「良い実」を結ぶことが出来ます。その人は周囲の人々から称賛されるようになり、こうしてイエス様の福音が周囲に広がっていくのです。

(永田 令牧師)