ゼカリヤ 8:18 万軍の主の言葉がわたしに臨んだ。
8:19 「万軍の主はこう言われる。四月の断食、五月の断食、七月の断食、十月の断食はユダの家が喜び祝う楽しい祝祭の時となる。あなたたちは真実と平和を愛さねばならない。
8:20 万軍の主はこう言われる。更に多くの民、多くの町の住民が到着する。
8:21 一つの町の住民は他の町に行って言う。『さあ、共に行って、主の恵みを求め 万軍の主を尋ね求めよう。』 『わたしも喜んで行きます。』
8:22 多くの民、強い国々の民も来て エルサレムにいます万軍の主を尋ね求め 主の恵みを求める。
8:23 万軍の主はこう言われる。その日、あらゆる言葉の国々の中から、十人の男が一人のユダの人の裾をつかんで言う。『あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ。』」

詩篇 5:1  指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。 
5:2 主よ、わたしの言葉に耳を傾け つぶやきを聞き分けてください。
5:3 わたしの王、わたしの神よ 助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります。
5:4 主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て あなたを仰ぎ望みます。
5:5 あなたは、決して 逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿ることを許されず
5:6 誇り高い者は御目に向かって立つことができず 悪を行う者はすべて憎まれます。
5:7 主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし 流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。
5:8 しかしわたしは、深い慈しみをいただいて あなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し あなたを畏れ敬います。
5:9 主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き まっすぐにあなたの道を歩ませてください。わたしを陥れようとする者がいます。
5:10 彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑らかで 喉は開いた墓、腹は滅びの淵。
5:11 神よ、彼らを罪に定め そのたくらみのゆえに打ち倒してください。彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。彼らを追い落としてください。
5:12 あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ あなたによって喜び誇ります。
5:13 主よ、あなたは従う人を祝福し 御旨のままに、盾となってお守りくださいます。

1ヨハネ 2:18 子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。
2:19 彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。しかし去って行き、だれもわたしたちの仲間ではないことが明らかになりました。
2:20 しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。
2:21 わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知り、また、すべて偽りは真理から生じないことを知っているからです。
2:22 偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。
2:23 御子を認めない者はだれも、御父に結ばれていません。御子を公に言い表す者は、御父にも結ばれています。
2:24 初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう。
2:25 これこそ、御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です。

聖書には、主なる神様が「恵み」を持って私たちに救いをもたらされることが語られている。
恵みとは、プレゼントのようなものであり、私たちの働きや成果に応じて支払われるような報酬とは違う。
恵みであり、神が私たちを純粋に憐れみ、愛し、助けたいと思われたから、救いが成し遂げられ、与えられているのである。
それはひとえに、イエス様の十字架の贖いと復活の御業によるものであり、すべて、イエス様のご生涯によって完成、完結されたものである。
私たちはただその救いの約束を、恵みとして信じるという仕方で受け取るだけである。
1ヨハネの手紙で語られている「反キリスト」という表現は、そういったイエス様の御業により、恵みにより、それを信じる信仰によって救いの約束を頂くことができるという聖書の御言葉の約束に反する全ての考え方や行動に当てはまるものであろう。
人間の業によるとか、能力によるとか、あたかもイエス様以外の何かによって救いが成し遂げられるかのような考え方すべてに通じるものである。
世の中には「こうすれば幸せになれる」とか「これに気を付けていれば長生きできる」とか、ありとあらゆる意見があふれているが、私たちに真の幸いをもたらす喜ばしきメッセージは、イエス様の十字架と復活の御業による救いの約束をおいて他にはない。
他のものは、永遠ではないからである。
イエス様の恵みによる救い、この福音のメッセージこそが、唯一、私たち全ての人に真の幸いをもたらすものであるということを覚え、永遠に変わらぬ祝福があることを感謝しつつ、この福音のメッセージと共に生きていきたいものである。

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