ヨエル 4:9 諸国の民にこう呼ばわり、戦いを布告せよ。勇士を奮い立たせ 兵士をことごとく集めて上らせよ。
4:10 お前たちの鋤を剣に、鎌を槍に打ち直せ。弱い者も、わたしは勇士だと言え。
4:11 諸国の民は皆、周囲から集まり 急いで来るがよい。――主よ、あなたの勇士を遣わしてください。
4:12 諸国の民が奮い立ち ヨシャファトの谷に上って来ると わたしはそこに座を設け 周囲のすべての民を裁く。
4:13 鎌を入れよ、刈り入れの時は熟した。来て踏みつぶせ 酒ぶねは満ち、搾り場は溢れている。彼らの悪は大きい。
4:14 裁きの谷には、おびただしい群衆がいる。主の日が裁きの谷に近づく。
4:15 太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。
4:16 主はシオンからほえたけり エルサレムから声をとどろかされる。天も地も震える。しかし、主はその民の避け所 イスラエルの人々の砦である。
4:17 あなたたちは知るようになる。わたしがあなたたちの神なる主であり わが聖なる山シオンに住む者であることを。エルサレムは聖なる地となり もはや、異国の民がそこを通ることはない。
4:18 その日が来ると 山々にはぶどう酒が滴り もろもろの丘には乳が流れ ユダのすべての谷には水が流れる。泉が主の神殿から湧き出て シティムの川を潤す。
4:19 エジプトは荒廃し エドムは滅びの荒れ野となる。ユダの人々を虐げ その国で、罪なき者の血を流したからだ。
4:20 しかし、ユダはとこしえに エルサレムは代々にわたって 民の住むところとなる。
4:21 わたしは彼らが流した血の復讐をする。必ず復讐せずにはおかない。主はシオンに住まわれる。
詩篇 63:1 賛歌。ダビデの詩。ダビデがユダの荒れ野にいたとき。
63:2 神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め わたしの魂はあなたを渇き求めます。あなたを待って、わたしのからだは 乾ききった大地のように衰え 水のない地のように渇き果てています。
63:3 今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み あなたの力と栄えを見ています。
63:4 あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます。
63:5 命のある限り、あなたをたたえ 手を高く上げ、御名によって祈ります。
63:6 わたしの魂は満ち足りました 乳と髄のもてなしを受けたように。わたしの唇は喜びの歌をうたい わたしの口は賛美の声をあげます。
63:7 床に就くときにも御名を唱え あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。
63:8 あなたは必ずわたしを助けてくださいます。あなたの翼の陰でわたしは喜び歌います。
63:9 わたしの魂はあなたに付き従い あなたは右の御手でわたしを支えてくださいます。
63:10 わたしの命を奪おうとする者は必ず滅ぼされ 陰府の深みに追いやられますように。
63:11 剣にかかり、山犬の餌食となりますように。
63:12 神によって、王は喜び祝い 誓いを立てた者は誇りますように。偽って語る口は、必ず閉ざされますように。
マタイ 24:29 「その苦難の日々の後、たちまち 太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。
24:30 そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。
24:31 人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
24:32 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
24:33 それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
24:34 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
24:35 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
詩篇63篇には、ダビデがユダの荒野において、魂の飢え渇きの中、神を求めて祈ったときの様子が歌われている。
おそらく、彼のおかれていた状況は、極めて絶望的な状況であったであろう。
しかし、そのような中にあって、彼は主なる神を見上げ、祈り、平安を得たのであろう。
状況は何も変わっていないし、何をどう考えても、状況が好転する兆しなど皆無であったに違いない、にも関わらずである。
我々が神を信じ、祈り求めていくことも、このようなことは大切なことなのかもしれない。
状況が改善されることを信じて祈るが、心のどこかで「これは無理だろ」と思っている。
それでも我々は祈る。
祈ることしかできないからである。
仮に、この世界における我々の置かれている環境が、ますますひどくなるばかりで、そのまま終わりの時を迎えたとしても、天のみ国における幸いは約束されている。
少なくとも、そう信じて祈り続けていきたいものである。