エゼキエル 34:23 わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。
34:24 また、主であるわたしが彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる。主であるわたしがこれを語る。
34:25 わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。悪い獣をこの土地から断ち、彼らが荒れ野においても安んじて住み、森の中でも眠れるようにする。
34:26 わたしは、彼らとわたしの丘の周囲に祝福を与え、季節に従って雨を降らせる。それは祝福の雨となる。
34:27 野の木は実を結び、地は産物を生じ、彼らは自分の土地に安んじていることができる。わたしが彼らの軛の棒を折り、彼らを奴隷にした者の手から救い出すとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。
34:28 彼らは二度と諸国民の略奪に遭うことなく、この土地の獣も彼らを餌食にしない。彼らは安らかに住み、彼らを恐れさせるものはない。
34:29 わたしは彼らのためにすぐれた苗床を起こす。この土地には二度と凶作が臨むことはなく、彼らが諸国民に辱められることは二度とない。
34:30 そのとき、彼らはわたしが彼らと共にいる主なる神であり、彼らはわが民イスラエルの家であることを知るようになる、と主なる神は言われる。
34:31 お前たちはわたしの群れ、わたしの牧草地の群れである。お前たちは人間であり、わたしはお前たちの神である」と主なる神は言われる。

詩篇 100:1  賛歌。感謝のために。 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
100:2 喜び祝い、主に仕え 喜び歌って御前に進み出よ。
100:3 知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民 主に養われる羊の群れ。
100:4 感謝の歌をうたって主の門に進み 賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ。
100:5 主は恵み深く、慈しみはとこしえに 主の真実は代々に及ぶ。

ヘブル 13:20 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、
13:21 御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。

昨夜、政府による緊急事態宣言の1か月の延長が発表され、首相が会見を行っていた。
説明を聞いていても、結局どうすれば良いのかわからないし、首相も答弁に困ると、すぐに専門家に話を振って、専門家の意見だからと言って責任逃れをするようなフシがみられた。
首相もだが、専門家も、本当のところ、どうすれば良いのか分からないはずであろう。
それでもできる範囲で取り組んでいくしかないわけで、みんなでこれからも気を付けて過ごして行こう、くらいの話であることはわかったような気がする。
政治家にしても、科学的な見識を備えた専門家であっても、この人の意見に聞いて従っていれば間違いはないと言えるような人はいない。
残念であるが、それは全ての人間が同じである。
我々も、信仰の導き手、牧会者としての働きを担ってはいるが、私の言う事を聞いていれば間違いはない、などと言えるような者でもないし、そうであるはずがないのである。
それなのに、人は困った時には人を頼り、自分の思い通りにならないと、簡単に批判していくものである。
政治家も科学の専門家も、そして牧師もまた、同じ人間である。
与えられた務めを精一杯やるだけだが、完全ではない。
しかし、イエス様は違う。
真の大牧者、自らの命をかけて、私たちを真の命へと導いて下さるお方である。
しかも、この方には間違いがない。

1コリント1:18 神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。
1:19 わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。
1:20 神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。

我々もまた、パウロのように、真実な神の御言葉を宣べ伝えている者であり、たとえ私たちが真実でなくても、語られる神の御言葉は常に真実であるということを覚え、神の御言葉の約束に対して「アーメン。確かにその通りです」と答えていく者でありたいものである。

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