列王記下 22:3 ヨシヤ王の治世第十八年に、王はメシュラムの孫でアツァルヤの子である書記官シャファンを主の神殿に遣わして言った。
22:4 「大祭司ヒルキヤのもとに上り、主の神殿に納められた献金、すなわち入り口を守る者たちが民から集めたものを集計させなさい。
22:5 それを主の神殿の責任を負っている工事担当者の手に渡し、更に神殿の破損を修理するために主の神殿にいる工事担当者に渡しなさい。
22:6 すなわち職人、建築作業員、石工に渡し、神殿修理のための木材や切り石を買わせなさい。
22:7 ただし、彼らは忠実に仕事をしているから、彼らに渡した金の監査は必要ではない。」
22:8 そのとき大祭司ヒルキヤは書記官シャファンに、「わたしは主の神殿で律法の書を見つけました」と言った。ヒルキヤがその書をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。
22:9 書記官シャファンは王のもとに来て、王に報告した。「僕どもは神殿にあった献金を取り出して、主の神殿の責任を負っている工事担当者の手に渡しました。」
22:10 更に書記官シャファンは王に、「祭司ヒルキヤがわたしに一つの書を渡しました」と告げ、王の前でその書を読み上げた。
22:11 王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた。
22:12 王は祭司ヒルキヤ、シャファンの子アヒカム、ミカヤの子アクボル、書記官シャファン、王の家臣アサヤにこう命じた。
22:13 「この見つかった書の言葉について、わたしのため、民のため、ユダ全体のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、我々についてそこに記されたとおりにすべての事を行わなかったために、我々に向かって燃え上がった主の怒りは激しいからだ。」
22:14 祭司ヒルキヤ、アヒカム、アクボル、シャファン、アサヤは女預言者フルダのもとに行った。彼女はハルハスの孫でティクワの子である衣装係シャルムの妻で、エルサレムのミシュネ地区に住んでいた。彼らが彼女に話し聞かせると、
22:15 彼女は答えた。「イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたたちをわたしのもとに遣わした者に言いなさい。
22:16 主はこう言われる。見よ、わたしはユダの王が読んだこの書のすべての言葉のとおりに、この所とその住民に災いをくだす。
22:17 彼らがわたしを捨て、他の神々に香をたき、自分たちの手で造ったすべてのものによってわたしを怒らせたために、わたしの怒りはこの所に向かって燃え上がり、消えることはない。
22:18 主の心を尋ねるためにあなたたちを遣わしたユダの王にこう言いなさい。あなたが聞いた言葉について、イスラエルの神、主はこう言われる。
22:19 わたしがこの所とその住民につき、それが荒れ果て呪われたものとなると言ったのを聞いて、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。
22:20 それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖の数に加える。あなたは安らかに息を引き取って墓に葬られるであろう。わたしがこの所にくだす災いのどれも、その目で見ることがない。』」彼らはこれを王に報告した。

詩篇 119:105 あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。
119:106 わたしは誓ったことを果たします。あなたの正しい裁きを守ります。
119:107 わたしは甚だしく卑しめられています。主よ、御言葉のとおり 命を得させてください。
119:108 わたしの口が進んでささげる祈りを 主よ、どうか受け入れ あなたの裁きを教えてください。
119:109 わたしの魂は常にわたしの手に置かれています。それでも、あなたの律法を決して忘れません。
119:110 主に逆らう者がわたしに罠を仕掛けています。それでも、わたしはあなたの命令からそれません。
119:111 あなたの定めはとこしえにわたしの嗣業です。それはわたしの心の喜びです。
119:112 あなたの掟を行うことに心を傾け わたしはとこしえに従って行きます。

ローマ 11:2 神は、前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいませんでした。それとも、エリヤについて聖書に何と書いてあるか、あなたがたは知らないのですか。彼は、イスラエルを神にこう訴えています。
11:3 「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、わたしだけが残りましたが、彼らはわたしの命をねらっています。」
11:4 しかし、神は彼に何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。
11:5 同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。
11:6 もしそれが恵みによるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。
11:7 では、どうなのか。イスラエルは求めているものを得ないで、選ばれた者がそれを得たのです。他の者はかたくなにされたのです。
11:8 「神は、彼らに鈍い心、見えない目、聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで」と書いてあるとおりです。
11:9 ダビデもまた言っています。「彼らの食卓は、自分たちの罠となり、網となるように。つまずきとなり、罰となるように。
11:10 彼らの目はくらんで見えなくなるように。彼らの背をいつも曲げておいてください。」

人は自分が間違っているということにうすうす気が付いていても、なかなかそれを認めようとせず、かえって頑な態度に変わって行ってしまうことがある。
本当は過ちを認め、素直に謝り、赦しを頂いて、平安のうちに過ごしたいはずである。
簡単なことであるはずなのに、それを怠っていくことで、余計に心がねじれていくのであろう。
ねじれた部分は、そのまま放置したまま、次のステップへと歩みだしていくことは難しい。
できる限り、気が付いた時点で、きちんと心の精算も終えて、すがすがしい気持ちで前へ歩んでいけたら幸いである。
神の御前で、自分の罪の姿ときちんと向き合い、イエス様の十字架の贖いによる赦しの言葉を頂き、心の平安を頂く。
それは恵みである。
この恵みが与えられる唯一の手段として、忠実に聖書の御言葉に聞き従っていこう。

Write a comment:

Your email address will not be published.