ルカ 14:15 食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。
14:16 そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、
14:17 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。
14:18 すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。
14:19 ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。
14:20 また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。
14:21 僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』
14:22 やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、
14:23 主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。
14:24 言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」
神の国に招かれた人は多くても、そこにやってくる人は少ない。
なぜならば、心がこの世のことに囚われているからであり、神の国における祝福よりも、今、この世において豊かで満ち足りている事のほうが好ましく思われるからであろう。
しかし、それらの物は、我々の命を救ってはくれないし、ましてや、永遠の命をもたらす力など持っていない。
本当に我々を救う事の出来るお方がどなたであり、そのためにイエス様が何をして下さったのかということを知ることは、とても大切なこと。
この世の富や豊かさは不要だと言うわけではないが、それらが永遠のものではないということをしっかりと認識しておくことが必要であろう。
その上で、一人でも多くの人を神の国に招くために、何を、どう用い、どのように行動していくかが問われているのだろう。
できる範囲でいいから、イエス様のもとへお連れする働きが進められますように。