雅歌 2:1 わたしはシャロンのばら、野のゆり。
2:2 おとめたちの中にいるわたしの恋人は 茨の中に咲きいでたゆりの花。
2:3 若者たちの中にいるわたしの恋しい人は 森の中に立つりんごの木。わたしはその木陰を慕って座り 甘い実を口にふくみました。
2:4 その人はわたしを宴の家に伴い わたしの上に愛の旗を掲げてくれました。
2:5 ぶどうのお菓子でわたしを養い りんごで力づけてください。わたしは恋に病んでいますから。
2:6 あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ 右の腕でわたしを抱いてくださればよいのに。
2:7 エルサレムのおとめたちよ 野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください 愛がそれを望むまでは 愛を呼びさまさないと。
2:8 恋しい人の声が聞こえます。山を越え、丘を跳んでやって来ます。
2:9 恋しい人はかもしかのよう 若い雄鹿のようです。ごらんなさい、もう家の外に立って 窓からうかがい 格子の外からのぞいています。
2:10 恋しい人は言います。「恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで。
2:11 ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。
2:12 花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。
2:13 いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで。
2:14 岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ 姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」
2:15 狐たちをつかまえてください ぶどう畑を荒らす小狐を。わたしたちのぶどう畑は花盛りですから。
2:16 恋しいあの人はわたしのもの わたしはあの人のもの ゆりの中で群れを飼っている人のもの。
2:17 夕べの風が騒ぎ、影が闇にまぎれる前に 恋しい人よ、どうか かもしかのように、若い雄鹿のように 深い山へ帰って来てください。
人が恋心を抱き始める頃というのは、人によってまちまちであるが、おおむね思春期以降というのが一般的かもしれない。
もちろん、それ以前の若い段階でも、恋心を抱く人もいるのも事実であろう。
ただ、恋心を抱くことによって適切な行動がとれるかどうかは全く別の問題である。
「エルサレムのおとめたちよ 野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください 愛がそれを望むまでは 愛を呼びさまさないと。」
と語られているように、適切な時ということもあるのだろう。
もちろん、それも人によってまちまちであり、精神的な成熟も並行して成長していなければならない。
「いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで。」
恋心を抱くにしても、それに見合った適切な行動がとれるかどうかは、その人自身の成熟度によって左右される。
心も体も魂も、バランスよく同時並行的に成長していくことが大切であろう。
若い世代の人たちには特に体の成長に伴う精神的な成熟も心がけて欲しいし、大人もまた、いつまでも子どものような考え方に留まっていないで、成熟した大人としての行動を保てるよう、精進したいものである。
そのために必要なこと、御言葉に聞いていくことであろう。