ヨハネ 8:31 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
8:33 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」
8:34 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
8:35 奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。
8:36 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
8:37 あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。
8:38 わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」

巷では、10月31日はハロウィンだということで、一部で騒ぎが起こるなど問題となっているが、もともとは、ヨーロッパの古いケルトのお祭りがアメリカ経由で日本にも伝わってきたものであるが、日本では宗教的な要素は一切忘れ去られ、ただ仮装してお祭り騒ぎをするだけの無意味なイベントと化している。
なぜそのようなことになるのかということを考えていく時、日本でのハレとケという慣習に突き当たっていくのかもしれない。
とにかく、日常、数多くの我慢や忍耐を強いられ、仮面をかぶり、真面目におとなしく過ごしている人たちが、この日ばかりはと、非日常の仮面をかぶり、大騒ぎをすることで発散する、という図式なのだろう。
そういう意味では、日常に対する非日常という意味では、非日常が特殊なことと思われがちだが、本当はそうではなく、日常のほうが日本独特の様々な文化構造によってさまざまな制限をうけ、ストレスを抱えているからこそ、こういった非日常で爆発しているだけと考えるなら、非日常のほうが本音の部分に近いように思えるのかもしれない。
しかし、実は、どちらも異常なのだ。
日常における仮面も、非日常における仮面も、そのどちらもが結局、自分ではない仮面をかぶり、何ものかを演じている。
そこまでしなければ生きていけない息苦しいのが我々日本の現実なのだろう。
だれもが得体のしれない「世間体」とか「周囲の目」に支配されながら、怯えながら生きている。
本当の自由は、好きな仮面をかぶって、傍若無人なふるまいをすることではない。
様々なことに悩み、傷つき、働き、休み、癒される、そのような人生の全てさえも含めて、ありのままの自分を神に受け入れてもらっているという事実を受け止めた時、はじめて本当の自分に出会い、自由となるのであろう。
そのために必要なことは、神が私を愛しているという事実を、み言葉から聞くことであろう。
それしかないが、それが一番大事な事なのであろう。

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