2ペテロ 1:16 わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。
1:17 荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。
1:18 わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。
1:19 こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。
1:20 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。
1:21 なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。
イエス様のご栄光を直接目撃したペテロが言うのである。
作り話であるはずがないし、作り話を作り出す意味もない。
イエス様は、私たちにとって闇を照らす光として、救いをもたらすためにこられたお方であり、そのことは、聖書の預言書においてあらかじめ語られていたことである。
ただ、その預言の言葉を解釈する際、自分勝手に、自分の都合の良い仕方で解釈しようとしてはならない。
聖書で語られていることは、イエス様が救い主であり、この方を信じるものに、その恵みが与えられるということ。
しかし、その恵みは、人の願望や欲望を適えることとは違う。
イエス様が、我々の身代わりとなって十字架で死なれたこと、よみがえられたこと、そしてそのイエス様の十字架と復活の贖いによる救いの事実を、み言葉を通して信じることによってのみもたらされる救いであること、それに尽きる。
今日も、聖書の言葉に生きよう。