ゼファニヤ 1:12 そのときが来れば わたしはともし火をかざしてエルサレムを捜し 酒のおりの上に凝り固まり、心の中で 「主は幸いをも、災いをもくだされない」と 言っている者を罰する。
1:13 彼らの財産は略奪され、家は荒れ果てる。彼らは家を建てても、住むことができず ぶどう畑を植えても その酒を飲むことができない。
1:14 主の大いなる日は近づいている。極めて速やかに近づいている。聞け、主の日にあがる声を。その日には、勇士も苦しみの叫びをあげる。
1:15 その日は憤りの日 苦しみと悩みの日、荒廃と滅亡の日 闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。
1:16 城壁に囲まれた町、城壁の角の高い塔に向かい 角笛が鳴り、鬨の声があがる日である。
1:17 わたしは人々を苦しみに遭わせ 目が見えない者のように歩かせる。彼らが主に対して罪を犯したからだ。彼らの血は塵のように はらわたは糞のようにまき散らされる。
1:18 金も銀も彼らを救い出すことはできない。主の憤りの日に 地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる。主は恐るべき破滅を 地上に住むすべての者に臨ませられる。

主の裁きの時が来れば、誰も、これに抗することはできない。
金も銀も彼らを救い出すことはできないことを、その日、多くの民は知ることになるだろう。
それゆえ、私たちは、その日が来る前に、金や銀では人は救われない、ということを知り、誰が私たちを救いうるかということを悟るべきである。

使徒 3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

生きていくためには、多くのことが必要と思われる。
けれど、意外に本当に必要なものは多くはない。
大切なことを見失って絶望するのではなく、大切なものを見据えながら、喜び生きていくものでありたいものである。

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