ヨハネ 14:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
14:22 イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。
14:23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。
14:24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
14:25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
今日は、シモンとユダの日ということらしく、ユダに対してイエス様が語られたみ言葉が日課となっている。
このユダは、イスカリオテではないほうのユダとある通り、イエス様を裏切ったユダではない、もう一人のユダであるが、彼に関する記述は、聖書の中ではほとんど記されていない。
そのような中で、このような平安に満ちた約束の言葉を頂いた人物である。
なんとも幸いな人と言えるのではないだろうか。
彼は、主の平安の約束を頂いて、平和に満ちた人生を過ごしたに違いない。
それほど有名でないということは、それほど、平穏な日々を過ごしたということなのかもしれない。
とかく有名な出来事や人物に人は注目しがちだが、何事もなく人生を過ごせた人は、幸いなのだろう。
どんな境遇の中にあっても、ゆるぎない平安の約束を頂いて、願わくは、平穏な人生を過ごしていきたい、と願うものである。