=偽善の世にあっても,あなたが神の恵みを受けるために=

<福音書>ルカの福音書124956

イエス様は『わたしは、地に火を投げ込むために来た』と言われます。イエス様が私たちの間に投げ込もうとされる火。それは、イエス様ご自身です。

イエス様を救い主を信じる者と信じない者との間で、また一人子を地上に送られた神様の愛と、それを受け入れない者との間で対立が起きました。

イエス様は、そこで火を投げ込まれたのです。しかし、本来イエス様が地上に投げ込もうとされる火は、人を滅ぼす火ではなく、人を生かし滅びから救い出す火であるはずです。

もしその火がすでに燃えていたら、イエス様は地上に来る必要はなかった。その火を、地上に見つけることが出来なかったから、神の一人子イエス・キリストが救いの火となって地上に来られた。

ただその火が燃え上がる前に、イエス様は「わたしには受けるバプテスマがあります」と言われる。このバプテスマとは、十字架上の死の苦しみのバプテスマです。

人は、イエス様の十字架の苦しみを理解することはできません。それは、残酷な方法で殺されると分かっていながら、そこに向かって前進しなければならない苦しさです。

人はイエス様の苦しみを理解する必要はありませんが、その苦しみが私のためであったことを分からなければなりません。それは信仰によるのです。

それでイエス様は群衆に向かって「偽善者たち」と話し出されました。

「あなたがたは、自然のいろいろな兆候を見分けるのに、神のみことばを聞き、神のみわざを見て、何故“神”を見い出さないのか」と言われる。

知らないことを知っていると言うのは偽善ですが、当然知るべきことを知ろうとしないのも偽善なのです

それで、もしあなたが分裂の原因となるなら、あなたは“偽善者”と呼ばれます。

しかし、私たちが主の十字架の苦しみと愛を信じ、感謝をもってイエス・キリストに近づくとき、私たちへの神様のことばは、「偽善者たち」ではなく「良い忠実なしもべよ」に変わるのです。

それは、あなたの上に実現される神の恵みです。その神の恵みによって、私たちは「地に平和をもたらす者」とされるのです。

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