=あなたが喜んで生きる者となるために=

<福音書>ルカの福音書121321

欲はすべての人が持っている罪の性質です。イエス様も、ものに執着する危険性について語っておられます。その危険性とは、永遠のいのちを失う危険性です。

人は、欲に目がくらむと見るべきものが見えなくなるのです。

それでイエス様は、金持ちの畑が豊作であったたとえ話を語られました。与えられた財産を、これからのために備えようとすること自体は賢明な判断です。

でもイエス様は、この男を「愚か者」と言われた。私たちは、この金持ちに二つの愚かさを見ます。一つは、物に執着する愚かさです。

この男は、自分の努力の産物ではない豊作の恵みを受けて、それを安心の根拠として、自分自身の楽しみに用いようとした。そこにこの男の貪欲が潜んでいたのです。

私たちも生活の安定のために、財産や名誉が欲しいと願います。でもそれが、私たちの“生きる喜び”となってはいないか。

もし、そのような自己満足だけが生きる喜びであるなら、その者は“愚か者”です。財産は、あなたにこの世で生きている間だけの満足しか与えないからです。

この金持ちのもう一つの愚かは、自分の死を考えない愚かさです。

人は、自分のいのちは自分のものだと思っています。人のいのちの本当の持ち主は神様であり、私たちは一時的にいのちを借りているのです。

人は、喜んで神様の栄光を現すために、いのちが与えられています。 喜んで生きることは良いことです。

しかし神様は「その喜びは、おまえのたましいが取り去られても、それに打ち勝つ喜びでなければならない」と言われます。

この世に生を与えられたことを喜び、神様をほめたたえる者が、喜んで神様にいのちをお返しすることが出来るのです。しかし永遠のいのちの保証がなければ、誰も喜んで死ぬことはできません。

“自分のためにたくわえる者”に神様は言われます。「おまえの財産/名誉は、死に対して何の役にも立たない」と。

人は、神様の前でいつも自分を豊かな者として示すことが出来なければなりません。イエス・キリストを心に持つ時、あなたは<神の前に富む者>とされるのです。

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