=あなたが主によって作り変えられるために=

<福音書>ルカの福音書82639

弟子たちは、異邦人の救いには全く関心がなかった。それが弟子たちの<荒野の心>でした。福音宣教は、隣人に関心を持つことから始まります

それで、イエス様は弟子たちをゲラサ人の地へ連れ出されたのです。 目的地に着くと悪霊に着かれた男が出迎えます。悪霊はイエスが誰であるかを知りながら、なお神様に逆らうがゆえに悪なのです

もともとイエス様と悪霊との間には、何の関係もありません。しかし、イエス様は悪霊につかれている人とは大いに関係があります。イエス様は、その者のためにも十字架で血を流されるからです。

イエス様は、最悪の状態にある男を目の前にして、多くの悪霊と戦われたのです。しかし悪霊に勝ち目はありません。悪霊は「底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんように」とお願いするだけです。

その点、人は悪霊よりも傲慢です。神の力を知ろうともしない。でも人は、やがて“死の壁”に行き当たり、その先は荒野の世界<永遠の滅び>であることを知りません。

さて悪霊たちが許されて豚の群れに入ると、豚の群れは崖を駆け下り湖の中に落ちて行きました。一方、悪霊を追い出してもらった男は正気を取り戻しました。

ここに神の力を体験した者の二つの反応を見ます。

一つは、その奇蹟を目撃した人々の反応です。人々はおびえて、イエスに自分たちの所から離れて欲しいと願いました。イエス様の奇蹟の内に、神の力を見ることができなかったからです。

ゲラサ人は、心の向きを変えてイエス様に従うべきだったのです。そのため彼らの罪は赦されず、心は荒野のまま残りました。

もう一つの反応は、悪霊を追い出してもらった男の反応です。この男は、イエス様の内に神の力を見たのです。この男は、人々に悪霊を追い出しされた神の力を証ししました。

神様は、ご自分に心を向ける者とともに働き、神の栄光を現されるのです。

私たち信仰者も不完全な者であり、まだ荒野の心が残っています。依然として罪があるからです。

心をイエス様に向け続けるなら、イエス様はその者を「イエス様が私にどんなに大きなことをしてくださったのか」証しする者へと変えてくださるのです。

それが<荒野からの解放>です。

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