=あなたがさらに祈り深い者となるために=

<福音書>ルカの福音書11113

祈りを通して、クリスチャンはクリスチャンとして成長します。イエス様も弟子たちに祈りを教えられました。

イエス様は“父よ”と呼びかけなさいと言われます。このことばは「お父ちゃん」という響きです。そこには、自分を絶対に守ってくれる親しい存在としての安心感があります。

祈るときは「神様を信じ切って、すべてを委ねること」が求められています。

祈りの本来の姿は、神様との会話です。信仰者は祈りによって、神様をほめたたえ、生きる力を受けるのです。 また有り余るものを求めるのは、御心にかなう祈りではありません。

それでイエス様は、一つのたとえ話をされました。

突然、夜にやって来た友人をもてなすものがない。それで近くの友人の所へ「パンを三つ貸してくれ」とお願いに行った。最初は断られるが、頼み続ければ、パンを分けてくれるだろう。

一つの解釈は“祈りにおいて頼み続ける大切さ”です。“頼み続ける”のことばは、恥知らずとも訳されます。

それで別の解釈が生まれます。あなたが、友人の家の戸をたたき、断られても頼み続けた。

それで、この申し出を断ったら私が恥知らず者だと思われる。それで、起き上がって必要なものを与えてくれるとの解釈です。

神様は、この男の熱心な祈りを断るなら、恥知らずだと思われる。神が神でなくなると思ってくださるのです。

イエス様は、父なる神様はそのような方だから、『求めなさい。捜しなさい。たたきなさい』と言われるのです。

この<求めなさい>とは返すことを考えないで率直に求めるのです。神様の方では、「返済する必要はないから欲しいものを求めなさい」と言ってくださるのです。

私たちは、わが子には良い物を与えようとします。子どもを愛しているからです。であるなら、神様は私たちに最も良い物を与えて下さらないはずがない。

私たちは洗礼を受け聖霊を与えられた者ですが、イエス様は「良い物(聖霊)を、厚かましく祈り求めなさい」と言われます。

そのように祈り求めるとき、私たちは聖霊の助けにより、さらに神様/イエス様を愛する者へと変えられるのです。

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