=教会が正しい牧者によって一つとされるために=

<ヨハネの福音書101118節>

イスラエルの民は、自分たちの本当の羊飼いは誰かを知らなかった。

それでイエス様は、『わたしは、良い牧者です』と宣言された。ここでは羊飼いが「神様の御心を知っているかどうか」が問われています。

神の御心を知っている羊飼いとは、羊のためにいのちを捨てる羊飼いです。

ここでイエス様は「わたしこそ、本物の羊飼いである」と言っておられます。

またイエス様は、養われる羊との関りの深さについて語られています。『わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています』。

その関係は『父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です』と言われます。

父なる神は、我が子イエスを地上に遣わされ十字架で血を流させた。またイエス様も、それに従われた。神秘としか言いようのない深い関係がそこにはあるのです。

その深い交わり故に、イエス様が私のためにいのちを捨ててくださった。そのような絆を作るからこそ「わたしは良い羊飼いなのだ」と言われるのです。

八鹿教会の<良い牧者>はイエス様です。あなたのためにいのちを捨てたのはイエス・キリストです。
私たちは、世の多くの声の中からどの声が私のためにいのちを捨ててくださった声なのか、聞き分けているでしょうか。

またイエス様は『この囲いに属さないほかの羊』と言われます。異邦人のことです。

イエス様は、異邦人をも囲いの中に導こうと決めておられたのです。それは全ての者が一つの群れとなるためです。それは<一つの教会>を意味します。

それ故、教会の中で対立があってはなりません。

『わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます』。

私たちはこのことばを聞くとき、主が私を正しい方向に導かれることを感謝するとともに、神の権威を持ってこのたとえを告げておられることを、
ただ「アーメン」と言って信じなければならないのです。その時、私たちは一つの群れとされるのです。

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