=あなたが神様から多くの喜びをいただくために=

<ヨハネの福音書1518節>

ぶどうの木のたとえ話から教えられることは「クリスチャンは成長するために刈り込まれる」ことです。

人を霊的に清くし、その者から悪い物を取り除くことが刈り込みです

神様は、その者を弟子としてより清くするために、悪い世的なものを取り除かれるのです。そして、そのように清くされた者を、良い実を結ばせるために用いられます。

刈り込みは、枝にとっては辛いことです。ある意味、傷つけられるからです。

私たちも必ず刈り込まれます。それ自体は決して喜ばしいものではなくても、それによって世的なものが取り除かれ、あなたの心をより神様の方へ向けさせるのであれば、それは刈り込みです。

あなたが、今以上に神の栄光を現わすために、父なる神はあなたを霊的に清めようとして刈り込まれます。 人は高ぶるとき、神様のために実を結ぶことはできません

また私たちは、イエス・キリストから離れたとき何もできなくなります。

それ故、イエス様は『わたしにとどまりなさい』と言われる。それは私たちが「いつまでも教会の交わりの中にとどまる」ことです。信仰生活が、教会の交わりの中に確立されている時、主はあなたを通して、ご自身の栄光を現わされます。

人はいつも意識してキリストの中に、教会の交わりの中にとどまっていないと、世の魅力に引き込まれ、枯れ枝となってしまいます。それは霊的な死です。

あなたは、父なる神の栄光を表すために、主の弟子として歩んでいますか。しかしそれは、あなたが犠牲を強いられることではありません。あなたが良い実を結び、弟子として歩み続けるのも、あなた自身の努力で成し遂げられないからです。

あなたがすることは、心をいつもイエス・キリストに向けることだけです。

その時父なる神は、あなたがもっと多くの実を結ぶために刈り込みをされるのです。

そのことはあなたにとって重荷とはなりません。

それによって、あなた自身の心の内にも喜びが満ち溢れるようになるのです。

Write a comment:

*

Your email address will not be published.