<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる わが主よ」

<聖書日課>ルカ10章25~28節「神である主を愛せよ」

今日の箇所は、イエス様と一人の律法の専門家のやり取りです。このイエス様と律法学者との会話は、有名な「良きサマリヤ人」のたとえ話のきっかけとなりました。

イエス様は10章21節で「これらのことを、賢い者や知恵ある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました」。と言われています。”これらのこと” とは、神様の権威に関することです。

神様はご自身に関わることを、知恵ある者(律法学者等)達には理解できないで、幼子たち(一般に無学とされる弟子たち)には現わしてくださったのです。

それを聞いていた一人の律法学者が、自分の方が神様に近い者であることを証明しようとして、イエス様に25節の質問をしたのです。

「何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか」と。

律法学者は、律法を守る行いによって永遠のいのちを獲得しようと考える者たちです。ここでも「何をしたら‥」と、あくまで行いを強調しています。

それに対してイエス様は、律法学者たちに合わせて、律法に関係する事がらで答えられました。

「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか」。その問いに対する律法学者の答えは完璧な答えでした。

「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」。 その完璧な答えをした律法学者にイエス様は「そのとおりです。それを実行しなさい」と言われています。

イエス様は、その律法学者に「あなたの答えは正しい。しかしあなたはその答えのように行っていない」と指摘されたのです。

律法学者は ”神様の思い” を誤解していたのです。誤解しているのですが、自分が誤解していることに気がついていない。

人は、どんな努力しても律法を守り通すことはできません。そこに頑なにしがみついているところに律法学者の誤りがありました。

また彼らは、異邦人や罪人/取税人を隣人から除外して、自分たちが守りやすいように、自分たちの都合で律法を曲げて解釈していました。

28節のイエス様のことばは「律法を制定された神様の思いを正しく理解して、それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます」と言われているのです。

頑なな律法学者は、それでも引き下がらないので、イエス様は「良きサマリヤ人」のたとえ話を、その律法学者のためにされたのです。

人は誰しも、自負の思いを持っています。しかし、頑なな心は、神様の思いを誤解させます。

そこで大切なことは、謙虚になって神様を愛すことではないでしょうか。その時、神様はあなたを「あなたの隣人をあなた自身のように愛する」者と変えてくださるのです。

『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』。これは、まことに私に語られていることばです。

アーメン

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