<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる わが主よ」
<聖書日課>ヨハネ6章41~51節「生けるパン」
イエス様は、「わたしは天から下って来た生けるパンです」(51節)と言われました。
ユダヤ人は、このことばにつまずきました。ユダヤ人たちは「あれはヨセフの子ではないか」と呟いたのです。”天から下って来た”とは、父なる神様とともにいたということです。
ユダヤ人たちは、イエスは神を冒涜していると考えたのです。しかしながら、イエス様が言われた”生けるパン”は、二つの意味で私たちを励まします。
第一に、パンはそれを食べる者に力を与えます。それは生きる力となります。”生けるパン”を食べる者にも力が与えられます。その力は、キリスト者としてこの世で生き抜く力です。
日本の社会では、私たちはクリスチャンであるがゆえに、生きづらさを覚えるときがあります。
変わり者を見るような目で見られることがあります。古い因習で、強引に偶像礼拝に引き込もうとする力もあります。
そのような時、生けるパン(イエス・キリスト)は、私たちの内側から生き抜く力を湧き起こしてくださいます。そして、その内側から湧き出る力は、この世においてあなたを証人として立たせるのです。
第二に、パンはそれを食べる者に安心を与えます。それは生きる希望となります。
”生けるパン”を食べる者には、平安が与えられます。それは、永遠のいのちの希望です。
もし、今日食べるパン(食物)がなければ、人は不安になります。それはいのちの不安です。しかし、生けるパンを食べた者は、死の不安から解放され、永遠のいのちの希望に生かされるのです。
「この希望は失望に終わることがありません。」(ローマ5章5節) そこには、誰によっても奪われることのない平安があります。
そして、永遠のいのちの平安に生かされたあなたは、たといあなたを取り囲む状況がどれ程厳しくても、この世においても、神様/イエス様に絶対の信頼を置く者と変えられるのです。
もし人が、肉体的な満足を求めてこの世のパンを食べようとするのなら、その者は、いつも何かを欲しがるゆえに、心は貧しくなります。
しかし、あなたが生けるパンを食べるのであれば、永遠の満足が心の内側から湧きだし、あなたは、あなたの周りの方々にも、イエス・キリストのいのちに生きる喜びを与える者とされるのです。
奴隷の地エジプトを出たイスラエルの民は、天からのパン(マナ)を食べましたが死にました。
罪の奴隷であったあなたは、天からのパン(イエス・キリスト)を食べて永遠のいのちを得たのです。
しかしながら、私たちはすでに天からのパンを食べた者として、常にそのことを思い起こす必要があります。
みことばによって、これからも生けるパンを思い起こし、キリスト者としての生きる力を湧き起こさせていただきましょう。
アーメン
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