<讃美歌>讃美歌375番「神の息よ」

<聖書日課>ルカ2章25~38節「キリストを見る幸い」

シメオンについては何歳ぐらいなのか、よく分かりません。

29節の「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。」とのシメオンのことばから推察して、かなりの老人だろうと思われています。

シメオンの望みは、「イスラエルが慰められる」ことでした。旧約聖書に「イスラエルの中に救い主が現われる」と記されています。

シメオンも、救い主の誕生を「今か今か」と待ち望んでいたのです。そして、聖霊によって「あなたはキリストを見るまでは、決して死なない」と言われていました。

ヨセフとマリヤが、生まれたばかりのイエス様を抱いてエルサレムの宮に入って来た時、シメオンは「その幼子がキリストである」ことが分かりました。聖霊がシメオンとともにおられたからです。

ローマ皇帝からすべての人が住民登録をするように命令が出ていたため、エルサレムにもおおぜいの人がいたことでしょう。

それで多くの人々が、ヨセフとマリヤが抱いている幼子を見たでしょう。でもそのほとんどの者は、それが救い主キリストであることに気がつきませんでした。

ヨセフとマリヤは、神様に幼子をささげるためにやって来ました。祭司に渡して、祈ってもらうのです。その祭司も、自分の腕に抱いている幼子がキリストであることに気がつきませんでした。

何故、祭司まで気がつかなかったのでしょうか? 聖霊が祭司とともにおられなかったからです。

聖霊がともに働いてくださっていることに気がつくことは、その者の心が主にある喜びで満たされることです。

今、八鹿教会の中で聖霊が私たちとともに働いてくださっています。礼拝に戻って来られる方々が次々と起こされ、教会全体に喜びが溢れています。

私たちの周辺の殆どの方々は、私たちとともに聖霊が働いておられることを知らないでしょう。

でも私たちは、聖霊様がともにいてくださる者として、希望を抱いて神様を賛美し続けたいものです。

シメオンは幼子の内にキリストを見ましたが、私たちは聖霊によって教会が主にあって変えられていることの内にキリストを見ることができます。

その「キリストを見る幸い」を心から感謝して、これからも神様の栄光を現させていただきましょう。

アーメン

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