=あなたが主の強い決意に従う者とされるように=

<福音書>ルカの福音書95162

イエス様は、御顔をまっすぐエルサレムに向けられました。ここにイエス様の決意の強さを見ます。十字架に上げられる“その日”が満ちようとしていたからです。

誰が、その時のイエス様の<心の孤独>を推し量ることができるでしょうか。

サマリヤ人はメシヤであるイエスを拒否しました。しかし、イエス様は怒った弟子たちの方を振り向いて戒められました。 私たちは、ここにイエス様の福音宣教に対する断固たる思いを見ます。

しかし、振り向くべきは私たちです。私たちが、振り向いて心をイエス様に向けるのです。そうする時、主は断固として、私たちを真の弟子、イエス様に倣うものとしてくださるのです。

さてその後、イエス様は三人の男と“弟子として従うこと”について語られます。

最初の人は、「私を弟子にしてください。どこにでもついて行きます」と。イエス様は、「人の子には枕するところもありません」と言われて、その男に断固たる決意を求められました。

二人目の男にも「父を葬ることは人に任せ、あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい」と言われる。神の国を言い広めるためには、死に向かう生活から出なければなりません

死の生活から抜け出る唯一の方法は、イエス・キリストの内に入ること。 イエス様はここでも、断固たる決意が求められました。

三人目の男にも「あなたは、もう手を鋤にかけてしまっている。今は、緊急の時だ」と主は言われる。神の国に生きるために、主イエスの厳しさを知る者としてそこに熱中するのです。

イエス様は、ご自身の弟子となる者には<断固とした服従>を求められるのです。人はそれほど強い者ではないからです。

イエス様がまず、断固とした決意で十字架に向かって歩み出され、その上で、私たちに断固とした服従を求められるのです。

<断固とした服従>は、もとから私たちの内にあるものではありません。

それは、イエス・キリストが断固として十字架の死にも従ってくださったので、それに応えようとする時に私の心に起こされるのです。

そして、そのような者の集まりとして教会が形成される時、主はその教会を「神の国にふさわしい」と言ってくださるのです。

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